フィールズに出ると、もう人が凄い......
というか、日本人がまだ目に付いた.......
とろこで、このフィールズ通り。
今まで、ことある事に、昔は砂利道と書いて来たが、今回あんへ再考でいろいろと調べ物をしているうちに、これは大きな勘違いであったかもしれないと思い出した。
オレはあんへの詳細情報をもってあんへを訪れたのは2002年か2003年頃だった。
しかし、実は1980年代後半、渡比の際に、よく連れて行かれた「クラーク近くの飲み屋街」がフィールズだと思っていた。
当時のオレは「拉致られ族」だった。
パソコン通信がやっと普及したような当時は、情報交換のソースも殆ど無く、カラオケーナを追いかけて渡比する連中は皆空港で待っているババエに拉致られる訳だ。
一旦拉致られたら、何処に連れて行かれるにも、大抵は車チャーターだ。
当時ジープニーが300か500ペソで1日チャーターできたと記憶してる。
しかし、為替も超円安だった。
話が逸れたが、そんなこんなで、夜中よく遊びに連れてかれたのが、「クラーク近くの飲み屋街」で、そこへ行くのに途中砂利道でケツが痛かったのが記憶に残っていた訳だ。
しかし、、拉致られ族であるからして、バーの名前も覚えてない今となってはそこがフィールズだったのか?
はたまた、プリメーター方面の店だったのか?
いや、もしかしたらスービックまでの道のりに有るバー街だったのかもしれない。
さらには、2002年以降でも、雨の日には必ず、道が泥まみれになっていた。
これは、現在クラーク再開発によって、ガレージ型店舗が並んでいるクラーク側の敷地が、昔は砂利と泥がまみれた未舗装帯で、そこに屋台なんかが並んでいた。
そんなこんなで、頭の中にはすっかり「昔のフィールズは砂利道」と言うイメージが刷り込まれていたのだが........
いろいろと調べている間にYouTubeで1980年代のフィールズの映像を見つけた。
...............そこには、舗装されたフィールズの通りが写っていた。
この映像は最近取り壊されて建物からまるまる変わってしまったDMZの映像から始まっている........
つづく