2011年04月

東日本大震災

今回の原発事故の記事を眺めていて、オナハマを思い出した。
もう十数年前になるだろうか?

東京のPパブで出会ったババエが、オナハマ近くの田舎然としたPパブ街に再来日した事が有った。

福島からさらに電車で一時間位の田舎町に、何故かPパブがずらりと並んでいたのを今でもぼんやりと覚えている。

街の名前も忘れてしまったが、確かすぐ近くに海があった。
あの街は今どうなってしまったんだろう?

さて、そんな事を考えていたら、久しぶりに先日ニュースが流れた。
■Ambassador Lopez Escorts 44 Filipino Repartiates from Fukushima
http://tokyo.philembassy.net/events/ambassador-lopez-escorts-44-filipino-repatriates-from-fukushima/
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P国が退避費用負担をした初の自主退避第一陣がP国に到着したというもの。

クライシスレベルがあがったのかどうかは参照元が探しきれず不明ながら、原発から100km範囲内に在住のP人に対して、自主退避費用を政府が負担しての退避活動が始まったようだ。

これで、関東の教会等に避難されていたP人の本国帰国が実現されるといいですが、確かパスポート紛失の再発行等に伴うビザの確認作業等、多くの問題も有る事はここでは報道されてない。

■ANNOUNCEMENT ON REPATRIATION OF FILIPINOS IN FUKUSHIMA
http://tokyo.philembassy.net/events/announcement-on-repatriation-of-filipinos-in-fukushim/

現在、在日フィリピン大使館では、福島第一原子力発電所から100km範囲に在住の方で自主帰国を希望する方は大使館まで連絡するように4/15からアナウンスを始めてます。

Bちゃん再び

あれからBちゃんとは何回かマニラミーティングを重ねた。

米屋サリサリはあえなく撃沈。
Bちゃんとしては言いたい事はいろいろあるようだが、つまりは閉店と相成った。

店商売であれば、最初の投資額が金利付きで帰って来て、さらに生活の糧として十分に機能していたと言うには、やはり最低五年は継続しないと全体を見た場合儲かったとは言い難いかと思うが、残念ながら、そういう人は今まで見た事が無い。

その後の展開も有るが、まだ書く段階では無い。
一言で言えば、夫婦関係の危機だが、いまだ細い線で繋がっている。
ニノンの任を果たさねばならぬ自分の所にもカミさんからtextが届いたが、この手の問題は第三者では解決不可能なのだ。

Bちゃん、がんぱってくれ。

ところで、最近Bちゃんのブログが再開した。
Bちゃんから見たP世界は微妙にデフォルメされているが、それは個人の経験の蓄積によって単視眼から複眼的に物事が見えてくる過程で修正されていく。

しかし、マニラミーティングで何回も話しに出たこのエントリーは自分が当初からBちゃんに繰り返し話していた免罪符論も盛り込まれ、及第点の完成度である。一読されたし。

ネネは蔑称という訳では無いが、我侭な小娘を指す言葉で普段は「お穣ちゃん」という意味で使われ、ジャパユキは大抵ネネと呼ばれている事が多い。

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